花火の掛け声「たーまやー!」に隠された秘密とは?

桜のシーズンが過ぎ、今年の花火大会についても
情報が少しずつ公開されてきています。

真夏の夜空に大輪の花が咲く瞬間は
思わず歓声を上げたくなってしまいますね。

花火の掛け声として有名なものに
たーまやー!」「かーぎやー!」があります。

ここでは、花火の歴史を紐解きながら
この掛け声の由来となった「玉屋」「鍵屋」について
掘り下げていきたいと思います。


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日本で花火が一般的になったのは江戸時代以降

夏の夜空を彩る花火ですが、花火の元となる
黒色火薬」は7世紀に中国で発明されました。

兵器や狼煙(のろし)として使われるほか

燃えるときの音や光などを利用した
観賞用の花火が考案されていきました。

13世紀以降になるとヨーロッパに伝わり
王の権力を示すためのイベントなどで上げられたとされます。

ヨーロッパの主な花火の生産地はイタリアだったため
打ち上げ花火がイタリアで開発されたとの説も存在しています。

一方、日本へ火薬が伝来したのは1543年の種子島ですが
花火がいつ誕生したのかは定かではありません。

その後、江戸時代には
だれもが花火を見て楽しむようになっていきました。


あの掛け声は、江戸の花火師の屋号が由来

花火大会などで花火を観賞すると
思わず歓声が上がります。

有名なものとして「たーまやー!」とか
「かーぎやー!」などがあります。

この由来とは何なのでしょうか?

これは、江戸の花火師の屋号である
玉屋」と「鍵屋」のことなのです。

両国の花火においては、両国橋を境として上流と下流を玉屋と鍵屋が
年ごとに交代しながら競演したとされています。


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そこから、「たーまやー!」「かーぎやー!」の
掛け声が生まれました。

それでは、それぞれの歴史について
ご紹介していきたいと思います。

鍵屋初代弥兵衛は奈良・篠原村出身で
幼少のころから花火作りが得意でした。

1659年に江戸に出てきた弥兵衛は
葦の中に火薬を練って小さな玉を作りました。

「火の花」「花火」と称して売り出して大評判となりました。

日本橋横山町に「鍵屋」を屋号とした店を構え
大型花火の研究を進めました。

1717年には水上祭りにあわせて献上花火を打ち上げています。

鍵屋は現在も「宗家鍵屋」として存続しています。

第二次世界大戦期に十三代天野太道が花火製造を取りやめ
現在は打ち上げ専門となっています。


鍵屋より人気があった玉屋だが、ある事件により断絶

続いてご紹介するのが鍵屋と並んで
江戸の花火を代表する存在であった、玉屋です。

玉屋は、1810年に鍵屋からのれん分けをするという形で始まりました。

市兵衛と名乗って、両国広小路吉川町に始めた
店の屋号が『玉屋』でした。

この名前は、鍵屋が守護神としていた鍵屋稲荷の祠(ほこら)に祀られている狐の
一方が「鍵」をもう一方が「玉」を持っていることが由来
となっています。

やがて、鍵屋と玉屋の二大花火師の時代を迎えることとなりました。

当時の浮世絵や川柳などから
鍵屋よりも玉屋のほうが人気だったとされています。


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しかし、その状況が一変する事件が1843年に起きました。

将軍・徳川家慶が日光参拝のために江戸を発つという前日に
火事を出してしまいました


自分の店だけでなく周囲の町並みまでも
焼失させてしまいました。

このことから玉屋は財産没収、市兵衛は江戸から追放されてしまい
わずか一代で家名断絶となってしまいました。

花火の掛け声には、このような由来があります。

今年も各地で花火大会が開催されます。

花火を楽しんだり出店を回ったりするだけでなく
鍵屋と玉屋に思いを馳せてみるのも良いのではないでしょうか。




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